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湛水親方(1623~1684

 「湛水」とは、彼が五十歳のときに名乗った号で、本名を幸地賢忠といいます。湛水親方は「三線」の演奏法を理論化し、体系立てることによって琉球音楽の基礎を築いた人物です。

湛水親方は首里の士族・夏氏の次男として生まれました。夏氏とは、鬼大城の末裔にあたる名門です。
 湛水親方は若い頃からその有能な働きぶりが評価され、王府に勤める役人としてめきめきと頭角を現しました。やがて湛水親方は王府の重要な役職を歴任するようになります。…(続きは本文で)

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