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玉城朝薫(1684~1734

 玉城朝薫は、王家の血を引く名門・尚氏長男として、首里の儀保に生まれました。
 当時の琉球王国では、羽地朝秀の政策により、士族には教養として芸事の修得が推奨されていました。玉城朝薫は幼い頃より芸能全般に優れたセンスを発揮し、特に三線の演奏においては湛水親方を開祖とする湛水流を継承しています。
 玉城朝薫は生涯で薩摩へ五度、江戸へ二度渡っています。このとき玉城朝薫は薩摩藩主や幕府将軍の御前で、能や三線の演奏を披露しました。彼の芸能への評価は国内外に響きます。
…(続きは本文で)

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