top of page

尚泰王(1843~1901

 父・尚育王が三十五歳という若さで他界したために、尚泰王は、わずか六歳で第十九代目琉球国王となります。当然、幼い尚泰王に政治を行うことは出来ないため、三司官らが代わりに政治を執り行っていました。
 この時代、琉球王国には欧米の船が毎年のように来航しており、琉球王府はその対応に頭を抱えていました。
 特に一八五三年、ペリーは二百人以上の隊列を率い、軍楽を奏でながら首里城を強行的に訪れ、「琉米修好条約」への調印を取り付けています。このとき尚泰王は十歳でした。
…(続きは本文で)

bottom of page