top of page

尚寧王(1564~1620

 十六世紀末、豊臣秀吉は東アジアの支配を目指し、大規模な兵力を朝鮮半島に送り込みました。「文禄・慶長の役」です

 戦いに際して秀吉は、琉球王国に対しても兵役を負担するよう、薩摩の島津氏を通して要求してきました。明と冊封関係にあった琉球は、この要求の一部にやむをえなく応じたものの、日本との距離を置くことで、明との関係を保ち、その独立性を維持しようとしました。

 しかし時は移り、十七世紀初頭になると、今度は幕府の徳川家康が、先の戦いでこじれた明と日本との関係を修復するために、琉球を利用したいと考えるようになりました。…(続きは本文で)

bottom of page