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察度王(1321~1395)

 英祖王統後に中山王となったのは、浦添按司だった察度でした。彼の出生に関して歴史書は「天女の水浴びの間に羽衣を隠した男と天女の子」と記していますが、当然これは各地に古くから伝わる羽衣伝説のアレンジで、後の時代の粉飾です

 しかし察度王が実在したのは確かです。この時代、中国大陸で建国された明は周囲の国々に対して冊封体制に入ることを促します。この勧誘に応えた察度王は弟・泰期を派遣、明の記録にその名が記されました。…(続きは本文で)

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