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謝名親方(生没年不詳~1611

 謝名利山は、久米三十六姓の末裔として久米村に生まれました。彼は南京の国士監という大学で学んだ後、進貢船の使者として働きます。その後、現在の宜野湾市の大謝名の総地頭になったことから「謝名親方」と呼ばれるようになりました。

 一六〇六年に謝名親方は三司官に任命されます。それまで三司官に選ばれるのは王族や士族出身の者でした。謝名親方は久米出身の華人系として初めて三司官になった人物です。王府のこうした人事には、当時の時代背景が深く関わっていました。…(続きは本文で)

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